大阪府和泉市に居住される方の破産管轄を弁護士が詳しく説明します。

南森町佐野法律特許事務所 弁護士 佐野隆久

電話 06-6136-1020

所在地 大阪市北区天神橋二丁目5番25号若杉グランドビル7階

大阪府和泉市に居住される方の自己破産を管轄する裁判所【破産管轄】を大阪の弁護士が詳しく説明します。

裁判管轄とは、その地域の裁判について、どこの裁判所が受け持つことになるのか、ということです。
自己破産では、原則として、自己破産を申し立てようとされる方
の住所地を管轄する裁判所が、破産手続きを受け持つことになります

地方裁判所の管轄  名  称  大阪地方裁判所岸和田支部

              所在地  大阪府岸和田市加守町4丁目27番2号

              電  話  072-441-2400


和泉市の歩み

昭和31年
 和泉町と北池田・南池田北松尾・南松尾・横山・南横山の6か村が合併、和泉市誕生。初代市長に横田礒治氏が就任。

昭和32年
 市章、市歌を制定する。

昭和33年
 新市庁舎完成。槇尾山一帯が金剛生駒国定公園に指定される。

昭和34年
 合併の特例法で、市議会議員定数を40名から9名減の31名とする。

昭和35年
 八坂町・信太村を合併し現在の市域を形成、10万都市へ前進。和泉上水道組合と泉大津市・高石町で構成された泉北用水組合が発足。

昭和36年
 市民会館完成。南池田・北池田・北松尾中学校が統合し、和泉第二中学校発足。

昭和37年
 「交通安全都市宣言」を決議。和泉第二中学校を石尾中学校と改称。

昭和38年
 公立和泉病院が完成。阪和線和泉府中駅前整備事業がスタート。

昭和39年
 市議会議員定数を36名から5名減の31名とする。本市と泉大津市の共同事業で“泉北環境整備施設組合”が竣工。

昭和40年
 「暴力排除都市」を宣言。和泉市史第1巻発刊。横山・南横山両中学校を統合した和泉第三中学校を槇尾中学校と改称。

昭和41年
 39年度決算で市誕生後はじめて7,700万円の赤字が生じる。和泉・泉大津・高石の2市1町で「泉北環境整備施設組合」を結成。

昭和42年
 池上遺跡の発掘調査始まる。市民球場・市民プール完成。第2代市長に池辺恒雄氏が就任。
 
昭和43年
 2億6千万円の赤字、財政再建団体指定受ける。財政再建のため、市議会議員定数を31名から5名減の26名に。和泉市史第2巻発刊。観音寺丘陵の弥生遺跡発掘。

昭和44年
 総合計画審議会設置。奥田家文書が公開、文書刊行へ調査研究進む。高橋家住宅(池田下町)が重要文化財に指定される。

昭和45年
 市民憲章が制定される。市の木に「楠」、市の花に「水仙」が決まる。再建団体の指定解消、再建なる。黒鳥小学校開校。

昭和46年
 第3代市長に藤木秀夫氏就任。市の人口10万人を突破。鶴山台誕生、鶴山台南小学校開校。

昭和47年
 公立和泉病院が和泉市立病院として発足。いずみ霊園オープン。同和対策事業を住宅地区改良事業の手法として13.27ヘクタールが第1次地区指定受ける。

昭和48年
 一条院町に消防本部庁舎完成。和気・鶴山台北・緑ケ丘小学校と郷荘中学校開校。「和泉市総合計画基本構想」が市議会で可決。「和泉市同和教育推進協議会」発足。

昭和49年
 乱開発防止のため宅地開発指導要網制定。旭町に老人解放センターを建設。

昭和50年
 勤労青少年ホームがオープン。第4代市長に池田忠雄氏就任。

昭和51年
 市民体育館完成。池上曽根遺跡が国の史跡指定受ける。南王子村文書第1巻発刊。休日急病診療所開設。

昭和52年
 解放総合センター完成。光明台が誕生。南王子村文書第2巻発刊。市立病院新館地下1階・地上7階が完成。

昭和53年
 市立和泉図書館完成。府立伯太高校開校。

昭和54年
 松尾寺「絹本著色孔雀経蔓茶羅図」国の重要文化財指定受ける。光明池電車車庫上に光明池運動場完成。

昭和55年
 池上小学校開校。「和泉市史」復刻、発刊。消防本部に消防救急指令装置を配置。

昭和56年
 第2阪和国道(現・国道26号線)の和泉市域部分が開通。

昭和57年
 「環境保全条例」制定。「和泉市シルバー人材センター」発足。和泉市久保惣記念美術館がオープン。

昭和58年
 「核兵器廃絶・平和都市宣言」を決議。南池田中学校開校。

昭和59年
 「サンライフ和泉」オープン。「障害者福祉都市宣言」を決議。

昭和60年
 光明台北小学校が開校。「コミュニティセンター」、「保健センター」オープン。

昭和61年
 「和泉市コスモポリス地域開発推進機構」が発足。和泉中央丘陵(トリヴエール和泉)開発事業の起工式が行われる。

昭和62年
 「総合福祉会館」完成。府・市など26団体による「いずみ・ラーバン・ライフ・リゾート推進協議会」発足。 「株式会社いずみコスモポリス」設立される。

昭和63年
 和歌山県かつらぎ町との友好都市提携締結。  和泉府中駅前再開発構想がスタート。

平成元年
 「青少年の家」「コミュニティ体育館」がオープン。

平成2年
 黒鳥校区老人集会所完成、市内18校区に建設達成。和泉府中駅前再開発現地事務所開設。

平成3年
 池上町に府立弥生文化博物館完成。

平成4年
 トリヴェール和泉に「いぶき野」誕生。人口15万人突破。

平成5年
 「老人デイサービスセンター」オープン。市内10農協が合併し「JA大阪和泉」が発足。中国江蘇省南通市、アメリカ合衆国ミネソタ州ブルーミントン市と友好、姉妹都市提携を締結。槇尾山グリーンランド完成。

平成6年
 トリヴェール和泉に「まなび野」誕生。和泉商工会議所設立。大阪外環状線が全面開通。

平成7年
 和泉中央線が「弥生町〜青葉台間」開通。泉北高速鉄道「和泉中央駅」開業。桃山学院大学が開校。 トリヴェール和泉に「あゆみ野」誕生。第5代市長に稲田順三氏就任。

平成8年
 大阪府立産業技術総合研究所が完成。いずみコスモポリス造成工事スタート。

平成9年
 「サン燦プール」、「彩生館」オープン。第52回「なみはや国体」で馬術競技を開催、市民の協力のもと成功裡に終わる。久保惣記念美術館新館完成。「豊かさを共有する人間都市・和泉」をメインテーマに第3次和泉市総合計画を策定。

平成10年
 市庁舎新別館完成。岸和田和泉インターチェンジの和泉市側からの乗り入れ道路開通。いずみコスモポリス企業誘致本格化。人口17万人突破。

平成11年
 和泉市いずみの国歴史館が開館。

平成12年
 ねんりんピック2000大阪和泉市交流マラソン大会を開催。

平成13年
 池上曽根遺跡史跡公園が開園。和泉市環境基本計画を策定。

平成14年
 市立解放総合センターから人権文化センターへ名称変更。信太の森鏡池史跡公園が開園。
 和泉市地球温暖化対策実行計画を策定。いぶき野校区老人集会所完成。市内19校区目建設達成。

平成15年
 人口18万人突破。職員倫理条例制定。「和泉シティプラザ」オープン。「いずみ霊園」立て替え完了。
 「北部コミュニティセンター」オープン。「小栗の湯」オープン。「和泉市ものづくりサポートセンター」開設。
 市立病院南館完成。 

平成16年
 「中央公園」オープン。子育て支援施設「エンゼルハウス」オープン。全国初自治体による無料職業紹介センター開設。「開発許可庁(市街化区域)」を発足。

和泉市の地勢

府南部に位置する南北に細長い市域(東西6.9km、南北18.8km)で面積は84.98平方km、北は堺市、高石市に、西は泉大津市、岸和田市、忠岡町に、東は河内長野市、南は和歌山県に接しています。 地形は南高北低で、南部には和泉山脈が連なり、中部・北部は丘陵、平地が広がっています。(海抜9.2m~885.7m)

■市役所の位置 東経135度25分35秒   北緯 34度29分00秒

市の沿革

旧石器時代の石器が発見され、遠い昔から人々が生活を営んでいたと考えられる和泉市。市内には、土器、石器、木製品等貴重な文化財が数多く出土した全国有数の弥生時代の集落遺跡である池上・曽根遺跡をはじめ、歴史の数々を綴るドラマとロマンがあふれています。

奈良時代、「和泉の国」の政治を司る国府が、現在の府中町に置かれ、平安時代には熊野詣の参詣道である熊野街道が本市を通り『蟻の熊野詣』といわれるほどの賑わいを見せ、今もなお「小栗街道」として当時の面影を残しています。江戸時代には幕府の天領や伯太藩領となり特産の「和泉木綿」や農業の発展によりめざましい復興を遂げ、明治初年の62村から明治22年には町村制施行により12か村に合併、綿織物やみかんづくりなどの農業で栄えました。昭和31年9月1日、当時の和泉町と北池田、南池田、北松尾、南松尾、横山、南横山の1町6か村が合併、人口約5万人の市として第一歩を踏み出し、昭和35年には八坂町、信太村を編入、現在の市域を形成しました。平成7年4月に「和泉中央駅」の開業と「桃山学院大学」の開校を実現し、平成10年に人口が17万人を突破し、「和泉中央丘陵整備事業」、「和泉市和泉コスモポリス土地区画整理事業(テクノステージ和泉)」、「和泉府中駅前再開発事業」等の大プロジェクトが進行しつつあります。

和泉市への交通手段


和泉市役所へのアクセス

和泉市役所
〒594-8501 大阪府和泉市府中町二丁目7番5号 (TEL.0725-41-1551 / FAX.0725-45-9352)

交通アクセス
◆JR「和泉府中駅」から徒歩8分
◆泉北高速鉄道「和泉中央駅」から南海バス泉大津駅前行き(4番のりば)「和泉市役所前」下車すぐ
◆コミュニティバスめぐ~るの和気・小田ルート「和泉市役所前」下車すぐ
◆南海バス「府中車庫前」から徒歩5分

大阪府和泉市の沿革

国名 和泉 

明治22年4月1日市制町村制施行時

府中村ほか4か村が合併し、国府村

伯太 池上 黒鳥村が合併し、伯太村

坂本 寺門村ほか5か村が合併し、郷村村

池田下村ほか3か村が合併し、北池田村

万町 浦田村ほか7か村が合併し、南池田村

福瀬 南面利村が合併し、東横山村

坪井村ほか4か村が合併し、西横山村

唐国村ほか3か村が合併し、北松尾村

比才村ほか4か村が合併し、南松尾村

父鬼 大野村が合併し、南横山村

太 中村ほか7か村が合併し、信太村成立。

南王子町は、そのまま自治体を形成。

明治29年4月1日 大鳥郡 泉郡を廃止し、泉北郡を設置。

当市域は、泉北郡に所属

明治36年、泉北郡東横山村 西横山村が合併改称し、横山村成立。

昭和8年4月1日、泉北郡国府 伯太 郷荘村が合併町制施行改称し、和泉町成立。

昭和18年10月7日、泉北郡南王子村 町制施行改称し、八坂町成立。

昭和31年9月1日、泉北郡和泉町 北池田村 南池田村 横山村 北松尾村 南松尾村 南横山村の1町6か村が合併市制、和泉市となる。

昭和34年、泉大津市の一部を編入。

昭和35年8月1日、泉北郡八坂町 信太村を編入。

昭和48年一部を岸和田市に編入し、現市域となる。


大阪府和泉市の概要

和泉市(いずみし)は、大阪府の中南部(泉北地域)に位置する

和泉国の国府があった事から、「和泉町」と名付けられ、その後、周辺町村と合併し「和泉市」となった。市域は全域和泉国泉郡に属し、国府の他に国分寺総社もあり、和泉国の中心であった地域である。なお、和泉国の歴史は「和泉国」を参照のこと。

大阪府下の市では、人口・世帯数共に隣の岸和田市に次いで12番目である(2008平成20年)2末日時点)。内陸部の開発が進行中であり、人口は増加傾向にある。面積については、泉州地域の自治体としては、堺市 (149.99km²) に次ぐ広さである。

和泉市は、2006年(平成18年)91の市制50周年に際し「50年活かして拓く ゆめ和泉」をキャッチフレーズに採択した。

地理

和泉市の地勢

府南西部に位置し、南北に細長い市域(東西6.9km、南北18.8km)を形成している。市の総面積は、大阪府下のとしては高槻市に次いで5番目に広い。北は高石市泉大津市泉北郡忠岡町に、西は岸和田市に、東は堺市西区南区)に、南は河内長野市和歌山県伊都郡かつらぎ町にそれぞれ接している。地形は南高北低で、南部には和泉山脈が連なり、中部・北部は丘陵、平地が広がっている(海抜9.2m885.7m)。
なお、和泉市では、長年に渡り、広報紙や公式サイトなどで市の面積を84.99km²と公表してきたが、国土地理院から市の最新の面積が公表され、2008(平成20年)41より、それまでの84.99km²から0.01km²少ない84.98km²となった。ただし、行政境界の変更等ではなく、最新の測量技術による再測定により生じた結果だという。

:槇尾山三国山信太山

河川:槇尾川松尾川

池:光明池

泉州唯一の内陸の市

和泉市は、泉州では唯一、大阪湾に面していない内陸の市である。沿岸部に発達した都市が、山手の農村部を編入する傾向が強い泉州地域の自治体においては異例とも言える。これは、国府伯太藩の影響から、山手としては比較的大きな集落が形成されていたことに一因があると考えられている。

国道26号線第二阪和国道)より大阪湾側の地域は、高石市泉大津市泉北郡忠岡町となっている。

歴史

江戸末期まで

和泉国国府国分寺総社が置かれていた。(国分寺と総社は現存する)

江戸時代には、伯太藩陣屋が置かれていた。


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