大阪府高石市に居住される方の自己破産を弁護士が詳しく説明します。
南森町佐野法律特許事務所 弁護士 佐野隆久
電話 06−6136−1020
所在地 大阪市北区天神橋二丁目5番25号若杉グランドビル7階
位置(地勢)私たちのまち高石は、大阪府の南部に位置し、北と東は堺市に、南は和泉市・泉大津市にそれぞれ隣接し、西は大阪湾に面しています。 地形は、全体的に平坦で、東西6.1キロメートル、南北4.1キロメートルで、市域が11.35平方キロメートルとコンパクトな都市です。 交通網は、府道堺阪南線、国道26号、府道和泉泉南線、大阪湾岸線などの主要道路とともに、南海本線とJR阪和線の鉄道が南北に走っています。 なお、高石・羽衣・富木3駅から大阪の中心部まで約20分、また関西国際空港にも20数キロメートルと近く、温暖な気候と相まって、便利で住み良い住宅地として発展しています。 市役所へのアクセス市役所の業務時間月曜日〜金曜日:午前9時〜午後5時30分 (休憩:正午〜午後0時45分) 市役所の休日土曜日・日曜日 国民の祝日に関する法律に規定する休日 年末・年始(12月30日〜1月4日)
最寄りの交通機関南海線高石駅から東へ徒歩15分 JR阪和線富木駅から西へ徒歩15分 住所と電話番号郵便番号592-8585 高石市加茂4丁目1番1号 電話番号072-265-1001 お問合わせ先政策推進部 企画課 高石市のおいたち「音に聞く高師浜の・・・」と詠われた高石の地は「高脚」とも書かれ、その昔からの白砂青松の美しい所として天下に知られ、持統天皇の御代世に各地に禁断漁猟区域が制定されたときには、「準河内国高脚海」と「高師浜」の地が基準とされたほどです。 また、上古に百済の博士、王仁(わに)がその一族の工芸技術家たちをつれて来朝した関係で、本市大工村(現在の高師浜の一部)の村民の大半は大工を家業として、明治維新までは京都御所の内匠(たくみ)寮の支配下にありました。他の住民は農業・漁業を営み、風光明媚な農漁村として大きな盛衰も見ずに近世に至っています。 本市はもと和泉の国大鳥郡に属し、江戸時代には幕府の直轄地で、庄屋が村務を扱っていましたが、明治5年に戸長制度が布かれ、堺県和泉国第1区・第5区に分割所属し、のち第2区第1小区と第4小区に改められました。 さらに、明治13年4月、第2連合戸長役場の管轄になり、同17年7月には高石南村、高石北村、今在家村と新村の4か村で第9戸長役場を設置。ここに初めて現在の高石市の基礎が確立され、同22年4月の町村制度で、高石村(人口3,307、世帯610)として地方自治の第一歩を印しました。また同29年4月、大鳥郡から泉北郡に変わりました。 明治34年3月には、葛の葉駅(現高石駅)が開設し、同37、38年の日露戦役の際に海浜地帯13万坪に俘虜(ふりょ)収容所が置かれました。撤去後、道路や下水溝を新設、良好な住宅地としての面目を備え、村勢は目ざましく進展し、大正4年1月には町制(人口4,809、世帯数935)を施行。 また、昭和28年4月に、東部に隣接する旧取石村を編入合併して、6.19平方キロメートルの町域を有するようになり、その後、人口の急増や臨海工業用地の造成などにより著しい発展をとげ、昭和41年11月1日に高石市(人口47,650、世帯数12,325)として発足しました。現在の市域は海面埋立の面積を入れて11.35平方キロメートル。人口60,863人、世帯数24,254世帯(平成20年2月末現在)です。
高石市の沿革 明治22年 市町村制施行時 |
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